「超えてみようよ!境界線」を読んだ感想

超えてみようよ! 境界線

村山哲也 著

 

パラパラとめくってみてなんだか難しそうな内容だったので一度はやめようと思ったけど、まあ頑張って呼んでみようと思って手に取った。

内容は作者の村山さんが若いときにアフリカへ教師として赴任したときのエピソードから始まる。

難しそうと思ったがそうではなかった。

アフリカの文化や歴史がわかりやすく書かれてあって、どんどん引き込まれる。

文体が砕けた感じなのがいいんだと思うし、アフリカは自分はけして生きていけない環境なので、そこに自ら飛び込んでいく人がどんな心境を抱えているのか単純に興味があって読み勧めた。皮肉や嫌味ではありません。

とても素晴らしくて、尊敬できる生き方です。

アフリカの子どもたちに勉強を教えたい、その熱意を持ち、自分のできることを生徒らに捧げる一方で、国の制度や財政にどうにもならない場面もあり、所々で自分の無力感をさみしげに表現してある。切ない。

希望を抱いて外国に向かったと思うけど、そんな風にやるせない現実と向き合ったときの気持ちを考えると心配になる。

そういうことで夢を諦めてほしくないと勝手ながら考えてしまう。

 

フィリピンに行った話もあった

フィリピンは貧富の差が激しいと聞いたことはあったが、この本でもそのことに触れてあった。

女性も男性のように活躍しているから、結婚して子供がうまれると家政婦を雇うんだ。その家政婦を雇う側が富側で、雇われるのが貧側。

その話が印象的だった。また、フィリピンは性的ジェンダーレスな社会が成り立っていて、しかも性的にマイノリティな人たちは平和の象徴とされてるそうだ。進んでいる文化だと思った

 

いつか人間って進化して同性同士でも子孫が残せるようになったりするのかな。

それとも、性的ジェンダーレスな人たちが増えたり、容認する社会になることや結婚をしたくない、子供を産みたくないって人が増えてること、人間はこのさき増えていかなくなったりするのかなって時々考えている。

多様性を認める世の中に少しずつ変わっていくのはいいことなのか、それでもそれは自分の人と違う部分を晒さないと認めてもらえないよね。わかってもらうって、とても大変でつらいことだと思う

自分の場合だと、この時点で諦めてしまっている。

 

この本を書いた村山哲也さんについてだけど、とても魅力的な人に思える。

考え方がとても素敵な人だな、と本を読んで何度も感じた。人に寄り添おうとしてくれるし、一人一人を大切に思って、色んな人に愛情を持っている人なんだと感じた。

一見すると当たり前のように感じるかもしれないけど、自分にはそれができないことなのでとても尊敬するし、そんな人の本が読めて嬉しい。そういう素敵な人がどんなことを考えて、どうやって道を切り開いてきたのか知れる機会は早々ない。

この本に出会えてよかったです。

そして、そんな素敵な人が学校の先生になってくれた時代があってとても嬉しいと思った。

 

私はあんまりテレビを見ないので、ニュースも知らない。

この本には私の知らない残酷な事件がいくつか書かれていました。しかも、自分が生まれてからのこと。ルワンダの虐殺のこと、たったの30年くらい前にこんなことが起きていたなんて知らなかった。

今も戦争してる国があるけど、自分の生活とはかけ離れていて本当に実感がない、こんなに文明も発達してて何不自由なく暮らしていけるのに、なんでまだ戦争なんかしてんの?ってそう思ってた。

だけど、この本を見る限りそんな気持ちになるのは日本(平和で豊かな国)に住んでいるからこそなんだなってわかった。

 

本の中で、本当にすごいなって感じた文があった。

「僕は障害を得たけれど、これっぽっちも死んだほうがマシと思っていない」

ここなんだけど、障害を負ったじゃなくて得たって表現してあるところが本当にすごいなと思った。

村山さんは下半身が麻痺して車椅子生活になったんだけど、それがそれとして認めて受け入れているっていうのがこの文以外にもいたるところからすごい伝わってくる。

自分だったらこんなふうに思えないかもしれない。たぶん、思えない。

今までの生活とがらりと変わって、不便どころじゃなく大変なんて言葉でいいのかわからないけど、そんななかでも受け入れて、障害者になったからこそわかったこと、できることを探し出して、こうやって表現して生きているところが本当にすごいし素敵だと思った。

自分もそんな人になりたい。

 

いろんなことに感謝していて、人を大切にしていて、自分も大切にしている。人の幸せを喜べて、好奇心があって、物事を深く考えている人だと思った。こんな人が自分の先生だったらすごく幸せだろうな。